
この石碑は、穂積竹二郎氏が道路の改修を行ったことを記念し、その顛末とあわせて知人らが寄せた詩や祝辞を刻んだものです。
文中にある「青木子爵撰する所の修路碑」は松岡地区公民館前の碑を指します。
修路記念碑
題額 福利愈進 昭和戊辰東園基光題
公務を執る者、必ずしも公益を図らず、民政に任ずる者、必ずしも民福を構ぜずして、往々にして虚名を衒(てら)い、私利を貪る者少なからず、是れ豈(あに)現時の通弊に非ざるか、其(それ)事に臨んで公平、能(よ)く公益を謀り民福を講ずる者、我が穂積君に於てこれを見る。
君名は竹二郎、穂積は其の氏、家格は農を業(なりわい)とす。
家格と人望は一郷に冠たり。
君性は明敏にして果断、家を治むるに法(おきて)有り。
職を奉じて勤恪(きんかく=励みつとめる)、嘗(かつて)松岡村長たり、産業を奨励し、教育を振興し、治績に観るべきもの多し。
県会議員に挙げられること2回、選ばれて参事会員たり。
現在日本赤十字社商議員、茨城県地方森林会議員の職、其他公職に任じて遑(いとま)あらず。
又教育参考品を本町小学校へ寄附し、賞されて銀杯を賜う。
大饗場に参列すること前後4回。至栄と謂うべし。
其県会議員たるや、産業の開発に力を致し、道路の改修に心を注ぐ。
松岡道路を縦貫し久慈郡に直達させて之を県道に編入す。
遂に工事の竣成を告す。
町民頗(すこぶ)るこれを便(たのみ)とする事、青木子爵撰する所の修路碑に詳し。
ころあい君の知友及び名流の諸氏、其の功績を韙(よし)とし、詩或は祝辞を贈る者十有余名。
君その栄を石に勒し以て後昆(こうこん=子孫)に伝えんと欲し、状を具して(=詳しく事情を書いて上申し)文を余(よ)に請う。
余君と相識る。誼(よしみ)辞すべからず。
すなわち命を記して芳碑に曰流す。
昭和3年11月10日建之
(説明板より)
※この碑のある場所は穂積家住宅の庭です。
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2007年10月24日 高萩市 トラックバック:0 コメント:0